かんざしの販売と美容室まわり
「お客様の声を聞くということ」
前回記載したように、職人としてものづくりをつづけていた私ですが、世の中の変化や他社との競争激化の事もあり、会社の方針転換で、販売や営業の仕事をするようになっていきました。
かんざし・笄(こうがい)・ヘアーアクセサーなどの販売先は主に美容室だったので、地方の美容材料卸の営業所の社員と一緒に、私も同行して美容室まわりの販売をするようになりました。
販売の形態は車の【ハイエース】に展示用の棚を取り付けてそこに商品を全てきれいに並べて小さなお店のようにして、私がその車を運転して取引先の営業所まで行き、そこの社員の人に同乗してもらって美容室を案内してもらって販売するというものでした。美容材料をいつも納品して営業してまわっている範囲の中の、めぼしいお店に案内してもらうのです。社員さんによっては多い人で一日に5~6軒、範囲が遠方の担当の人は一日に2~3軒まわるという事もありました。
美容室の前に私の会社の車を停めて、美容室の先生を社員さんにつれてきてもらい車に展示している商品をカゴにいれて買ってもらうのです。私はいろいろ聞かれたことや商品の説明をし、同行の社員さんに伝票を書いてもらいそこの美容室の販売が終わると、その日に予定している次の美容室に次々まわるという販売方式です。
美容室材料屋さんのかかえている社員の人数によって毎日違う人が同行して自分の担当美容室をまわるので、7人いれば7日間、4人いれば4日間、というように私は商人宿に泊まりながら毎日運転をして、案内してもらうのでした。
美容室の先生はうちの会社から商品を買い取り、それを着付けに来たお客さんの髪に挿してあげて「お似合いですよ」とそれをまたお客さんに販売するのです。力のある美容室だとお嫁さんの着付けのほかに、お呼ばれの招待客の着付けもあるので、「特別にサービスよ」といってヘアーピンを無料でつけてあげるので、ヘアーピンをケースごとまるまる買ってくれるところもありました。
売れるところ、売れないところ、営業マンの技量によっても売れ方は本当にさまざまでした。また、美容室の先生を対象にした着付けの講習会やかつらの結いなおしの時などにも、それを仕切る美容材料卸しの会社にもよばれて、講習会後に販売会をしたりするのです。
北海道は函館から名古屋まで多くの美容室をまわっていたのですが、毎日行く場所が違うのでどこをどう走っているのか全くわかりませんでした。
また行くところ行くところ必ずお茶が出されて、断る事もできず何度もトイレに行かなければならなくて本当に大変でした。それと地方ごとのご当地の方言が全くわからないので、営業マンが美容室の先生とずっと話し込んだりしている間、私は日本にいて日本人の話を聞いているにもかかわらず何を話しているのか理解できず、遠い外国にいるような、そんな深い孤独感に苛まれたものでした
地方の美容室に行くとお茶と一緒に自慢の漬物がでるのでいつも「うまいか?うまいか?」と聞かれ「けっ、けっ」(食え、食え)と言われ、しまいには「がっこ、けっ!」(たくわん、食え!)と言われて何のことかわからず、馴れるまでとても苦労しました。けれども苦労の甲斐あってだんだんと軌道にのりはじめ、この移動販売はそこそこ売れるようになりました。近くの県を何県もまわって仕事をするので、一度出かけると2~3週間戻ってこれず、帰ってくるとまた商品を車に載せて出発するのです。かんざしや小間物の業界でただ注文を待っているのではなく、こちらから地方に直接出向いて販売する形態は当時としては画期的なことだったので、売上もどんどん伸びていきました。
ただ私が販売・営業の仕事をする上での一番のネックは、体質的にアルコールを受け付けなくて、一切酒が飲めないということでした。酒が飲めればもっと社員や美容業界の人とまた違ったコミュニケーションがとれたのではないかとよく思ったものです。けれども全国の知らない土地にいくので観光に行くようでもあり、それはそれで楽しかったのを覚えています。そしてこの仕事をして一番勉強になったことは、直接お客さん(美容室の先生等)から話を聞くことで、お客さんは今何を一番もとめているのか直にわかるということで、対面販売の大切さ、というものを学びました。それと同じ場所に2~3回行くと飽きられてしまうので、スタンダードのものに新しいものを常に加える努力も怠ってはいけないということでした。
私がかんざし業界に関わっていた時代は、組みひもをつけるのが流行る年、羽根が流行る年など何年に1回か流行がまわってきたのですが、今は流行ではなく個人の好みと新しさを求める風潮があるようですし、自分だけの一点ものを大切にするようになってきているように思えます。